前回はマンハッタンカフェとアグネスタキオンの関係についてのまとめを作りました。

今回はナリタタイシンの話をします。
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この馬はBNWの一角として、1993年クラシック三冠でまず真っ先に皐月賞を制した馬です。BNW対決が有名ですが、1993年クラシック前後の話も踏まえるとよりシナリオが楽しめると思います。
- ナリタタイシンの血統と馬主さん
- ナリタタイシンは競走馬としては不利となる遅生まれの馬
- 血統が期待されて買い手がつくも、気性が悪くて周りをてこずらせる
- 皐月賞に出るまでに9戦も走っている
- 「小柄な体なのに火の出るような末脚で走る馬」という評価が固有スキルにも反映されてます(ちなみに鞍上のピンクの勝負服は武豊です)
- ダービー・高松宮杯までは健闘するが、ここからが病との戦いに……
- ここから一度復活し、目黒記念で9か月ぶりに復活!天皇賞春でもビワハヤヒデと好勝負。根性を見せる
- 天皇賞春の後は不運続き……結局1993年の菊花賞を最後にして3頭が同じレースで勝負することはなかった
- 1年2か月ぶりに宝塚記念(ライスシャワー最期のレース)へ出走するも惨敗。そして引退へ…
- 成績で見ればダービーの後パッとしなかったけれど記憶に残る対決で「20世紀の名馬」にも選ばれている
- 史実では果たされなかった「BNWの誓い」がウマ娘で果たされる!そして、ナリタブライアンも交えた4頭の対決が楽しみ!
- BNWは3頭とも長寿であったがタイシンは2020年4月に30歳で亡くなり、ビワハヤヒデは2020年7月に亡くなっている
ナリタタイシンの血統と馬主さん
ナリタタイシンは北海道・新冠(にいかっぷ)郡新冠町・東泊津にある川上牧場で生まれました。
アメリカのG1ホース・リヴリアがお父さん。このリヴリアという馬は、欧州最強の名牝「ダリア」の息子で血統はとても良いです。(リヴリアはタイシンが優勝した年に亡くなってます)
母はタイシンリリィという馬でした。母の父はラディガというあまり知られていない馬でした。しかしタイシンリリィはなかなかの名牝で、初仔のユーセイフェアリーは重賞を勝ち上がり、タイシンの上の兄弟二頭もきちんと中央で勝利するなどの実績がありました。
馬主さんはナリタブライアンと同じです。大阪枚方市に本拠地を構えていた「山路秀則」さんです。
「ナリタ」とは大阪の自宅近くにある成田山大阪別院明王院(成田山不動尊。千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院)から、「オースミ」とは出身地の鹿児島県大隅半島からとったものであり、預ける調教師によって使い分けていた
ナリタタイシンは競走馬としては不利となる遅生まれの馬
競走馬の誕生日が3月~5月に集中しているのは有名ですが、それは育成の期間を考えてのことです。これより遅く生まれれば生まれるほど不利になります。
当然種付けもここから逆算して行われます。
しかし、ナリタタイシンは期待してた期日をすぎてもなかなか腹の中から出てこず、もう夏になろうかという6月に生まれました。実際、現在プレイヤブルなウマ娘の中で一番誕生日が遅いです。
当然ながら同年代の生まれと比べて育成が遅く、体格もひ弱でした。というか、3歳になっても馬体重は420kg~430kgという小柄な馬でした。
育成前ストーリーでベテラントレーナーから「競走馬をあきらめた方が良い」といわれてしまうシーンがありますが、これも実話で「体が小さすぎて競走馬になれないのでは」と危惧されていました。
血統が期待されて買い手がつくも、気性が悪くて周りをてこずらせる
なんとか買い手がついて中央競馬の厩舎に入れたのだけれど、今度は気性の荒さで関係者を困らせます。
「乗った人を振り落とさんばかりに暴れたり、気が乗らないと勝手に厩舎に帰ろうとしたり、人の目も気にせずゴロリと寝そべり昼寝する問題児ぶりを発揮」だったそうです。
ゲーム中でもタイシンの面倒くさいぶりはしっかり表現されてますね。
皐月賞に出るまでに9戦も走っている
見ての通り、皐月賞に行くまでの間がかなり長いです。
体格で他の馬に劣るゆえに、どうしても馬群の中で戦うことができず、かといって逃げ馬には向いていなかったので必然的に追い込み馬となりました。
新馬戦以外はすべて勝って6戦目で皐月賞に来たウイニングチケットや、それまで6戦すべて連対し、すでに4勝していたビワハヤヒデと比べてなかなか勝ちきれませんでした。
「小柄な体なのに火の出るような末脚で走る馬」という評価が固有スキルにも反映されてます(ちなみに鞍上のピンクの勝負服は武豊です)
皐月賞でははっきりと実況がビワハヤヒデとウイニングチケットの「二強」と言っており、実況でもほとんどナリタタイシンの名前は呼ばれていませんでした。
しかし大外から驚異の末脚で一気に差し切って大勝利!これで一気に三強の一角に躍り出ます。
ダービー・高松宮杯までは健闘するが、ここからが病との戦いに……
三強の一角としてダービーを盛り上げますが、二頭に敗れ3着。
その後高松宮杯でも2着と健闘を見せます。
ここまではよかったんですが、秋には「運動誘発性肺出血(鼻出血)」にかかって菊花賞トライアルを回避、菊花賞ではBNWの一角として首位争いをするどころか体調が回復せず17着と惨敗してしまいます。
ここから一度復活し、目黒記念で9か月ぶりに復活!天皇賞春でもビワハヤヒデと好勝負。根性を見せる
それでも、体調さえよければ馬自体は強かった。
目黒記念で復活し、天皇賞春でもう一度ビワハヤヒデと戦うことに。
このレース、とても印象的なのでぜひ見てほしいです。
しかし、ビワハヤヒデはさらに強くなっており自慢の末脚で追っても差が縮まることはなかった。
天皇賞春の後は不運続き……結局1993年の菊花賞を最後にして3頭が同じレースで勝負することはなかった
・6月には宝塚記念で再起を目指すが、軽い骨折を発症し回避。
・秋は京都大賞典へ向かおうとするが下痢で回避。
・天皇賞秋に向けて調整していたが屈腱炎を発症し長期休養へ。
1年2か月ぶりに宝塚記念(ライスシャワー最期のレース)へ出走するも惨敗。そして引退へ…
この時点ですでに引退も検討されるが、陣営はあきらめなかった。
1年2か月ぶりに出走するも、見せ場を作ることはできず16着惨敗。
それでもあきらめずに高松宮杯を目指したが、屈腱炎を再発。引退となった。
種牡馬としては全く活躍できず早々に引退し、余生を送ることになった。
成績で見ればダービーの後パッとしなかったけれど記憶に残る対決で「20世紀の名馬」にも選ばれている
史実では果たされなかった「BNWの誓い」がウマ娘で果たされる!そして、ナリタブライアンも交えた4頭の対決が楽しみ!
史実においては、菊花賞を最後にして、三頭が一つのレースで再度走ることは結局なかった。
ビワハヤヒデとウイニングチケットが何度か鎬を削る中、ナリタタイシンはその中に入ることができなかった。唯一天皇賞春でビワハヤヒデと対戦した時は2位だったので決してナリタタイシンは弱くなかったがそれでも不運が続いた。
現実はままならなかったが、ウマ娘ではこの3頭がついに揃い、ライバルとしてもチームメイトとしても一緒にレースを走っている姿が見れるのがとてもうれしいです。
さらにナリタブライアンが参加して4頭で勝負するところをぜひ見たいですね。
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BNWは3頭とも長寿であったがタイシンは2020年4月に30歳で亡くなり、ビワハヤヒデは2020年7月に亡くなっている
7月21日未明ビワハヤヒデ 号は老衰のため永眠いたしました。もう少し長生きさせてあげたかったのですが、力不足で申し訳ありません。
ビワハヤヒデ の人生(馬生)は恵まれたものだったと思います。多くのファンに応援してもらい、本当に感謝しております。
日西牧場 高山直樹
— (有)日西牧場 高山直樹 (@3iZczUtbYRZlVS8) July 20, 2020
ウイニングチケットはまだ浦河にて元気に暮らしています。
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