
で話題になっていた部分です。
「ゲームの歴史の著者はセガの事が嫌いなのではないか?」
とという憶測を呼んだ文章では、果たしてどのようなことが書いていたのでしょうか。
48ページから52ページ部分の内容を確認してみましょう。
なぜかことさらにセガの広告戦略を取り上げて否定する作者
セガは、ファミコンやスーパーファミコンが市場を席巻していた1980年代中盤から1990年代前半、「つまり任天堂に負けている間」は家庭用ゲーム機市場でまだ気力を保てていました。絶対的チャンピオンの任天堂に対する挑戦者の地位をギリギリ確保していたからです。「任天堂のゲームがファミリー向けなら俺たちはクールなゲーマー向け」「そもそも目指してる先が違う」とかっこつけていられました。
しかしそのチャンピオンがぽっと出の別の挑戦者ソニーコンピューターエンターテイメントにいきなり倒されてしまいました。この瞬間セガの挑戦者としての存在意義は音を立てて崩れされました。任天堂という巨人に楯突くチャレンジャーだったのに、楯突く巨人がいなくなったことでチャレンジャー達の居場所まで消えてしまったのです。以上がセガサターンの状況です。
セガとソニーコンピューターエンターテイメントはセガサターンと PlayStation の発売初期こそ拮抗した良い勝負をしていたと思います。しかし時間が経つにつれハードの売れ行きに差が出始めました。決定打になったのは1997年1月に発売されたファイナルファンタジー7です。同作がいかにゲーム史において革命的だったかは12章で述べますが、セガはそれでも PlayStation を倒すべくめげずに勝負をかけます。それが1998年11月に発売されたさらにハイスペックな家庭用ゲーム機ドリームキャストでした
ドリームキャストで特筆すべきはハードの宣伝方法です。セガは著名な作詞家で、のちに akb48をプロデュースする秋元康を宣伝プロデューサーとして招き、ハードの発売前から徹底的に自虐的な CM をうちました。自虐とは自分で自分のことを辱める行為です 。
CM は当時セガの専務だった湯川ヒデカズ本人が、小学生たちから「セガなんてダッセーよな」「プレステの方が面白いよな」「帰ってプレステやろうぜ」というひどい言葉を浴びせられるというもの。PlayStation に対して劣勢の状況を開いて認めそれを逆手にとって反撃に出ようという、捨て身の内容でした。しかし痛々しいことにこの方策は全く身を結びませんでした。湯川専務の知名度が一人歩きしただけで、ドリームキャストはセガに決定的な敗北をもたらしてしまったのです。
ドリームキャスト時代のセガは、「セガサターン」時代以上に有力タイトルを出すことができず、キラーソフト不足のまま売上を伸ばせませんでした。ドリームキャストの目玉タイトルは一部を除いてほとんどがアーケード人気作品の移植だったからです。「シーマン」「ソニックアドベンチャー」「シェンムー」 といった家庭用オリジナル意欲作もあるにはありましたが、全体としてはセガサターンと全く同じ道を歩みました。
ドリームキャストというハードはそしてセガという会社は CM で小学生が言っていた通りの惨めな結末となりました。墓穴を掘ったというよりは「自分で自分の墓標を刻んだ」とでも言いましょうか。さしずめ、「プレステよりも売れなかったゲーム機、ここに眠る」
ソニーコンピューターエンターテイメントに対するあまりにも屈辱的な惨敗でした、結局 PlayStation はスーパーファミコンの次世代にあたるニンテンドー64をけ散らし、ゲーム業界を席巻します。そして絶好調のまま2000年3月発売の後継機プレイステーション2にバトンを渡しました
セガはソフトメーカーとしてもハードメーカーとしてもヘタを打ちました、ソフトメーカーとしては最後まで家庭用ゲームには家庭用ゲームの本質があるということに気づけませんでした。あるいは気づけていたとしても実行できませんでした。ハードメーカーとして欠けていた能力については第11章でプレイステーションとの比較を持って説明します。
セガファンはドリームキャスト時代のセガの状況複雑な思いで見ていました。何故ならそれまでのセガは、たとえハードが売れていなくてもたとえヘビーゲーマー向けのタイトルしか開発していなくても、自分たちがファンに対しては誠意を持って接してくれていたからです。
にもかかわらず当時。流れた自虐的なドリームキャストの CM は、誇り高いセガファンの気持ちを傷つけました。「自分たちが信じていたあの素晴らしい世界が、あんなにみっともない、耐え難い自虐によって世間から馬鹿にされている」「ゲームの内容でどうこう言われるならまだいい。だけれども外部から雇った宣伝プロデューサーが、自分達の大切なセガの文化を茶化し、笑いのネタにしたことは耐え難い」あれから四半世紀経った四半世紀近く経った2022年現在でも当時の怒りを忘れていないオールドセガファンは少なくありません。
セガは度重なるハードの失敗で経営が傾きました。任天堂のハードビジネスと同様、セガサターンもドリームキャストも赤字覚悟の破格でハード一台でも多く売って普及させ、その後のソフト販売で利益を出すというビジネスモデルでしたが、肝心のハードが売れなかったのでどうにもならなかったのです。セガはリームキャストの失敗以降、ハード事業から手を引き、PlayStation 2をはじめ他のハード向けにゲームを開発供給するいちソフトハウスに縮小してしまいました
めっちゃ馬鹿にしてくるやん。
明らかに不要な表現が多数みられますね。たしかにこれはセガのこと嫌いだろって言われても仕方ないと思います。
しかし何と言っても気になるのは「唐突に詳しく語られだす広告戦略」の部分です。
「ゲームの歴史」において、広告宣伝の話をこんなに詳しくしているのはこの部分とあとは18章のガラケーの部分暗いでしょうか。むしろ他の部分では広告の話を意図的に排除し、「ゲームの良さ」だけで売れたような論調が目立つ本なのです。ヒットしなかった理由も「ゲームの内容が悪かったから」で一貫していました。
ポケモンのヒットについて語った9章でも「広告」の力を否定するかのように、史実においてはヒットのきっかけとして知られている「コロコロ」による宣伝の話はバッサリカットしています。ポケモンはゲームとして優れていたから口コミで勝手に売れたというような論調で語っているのです。鉄拳シリーズが3以降に売れなくなった理由も市場環境や売り方は完全に無視して「ゲームの内容が悪かったから」の一点張り。
そのくらい「広告戦略を意図的に無視しまくっている本」なのです。にもかかわらず、なぜ「ゲームの歴史」の著者は「セガの時だけ」ことさらに広告宣伝の話に注目したのでしょうか。
さらにいうと、なぜわざわざセガファンに「外部から雇った宣伝プロデューサーが、自分達の大切なセガの文化を茶化し、笑いのネタにしたことは耐え難い」といわせるイタコ芸までやっているのでしょうか。
どうしてもセガの宣伝戦略をけなしたかったとしか思えません。
これは、「ゲームの歴史の著者が秋元康の弟子である」ことは決して無関係ではないでしょう
『夕やけニャンニャン』の大ファンで、『週刊プレイボーイ』に連載を持っていた秋元康の企画に葉書を送ったことで秋元と縁を持ち、大学卒業後は秋元康事務所の前身に当たるソールドアウトに所属して秋元康に師事した。放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』『クイズ赤恥青恥』など、テレビ番組の制作に参加した後、2005年から2007年までAKB48アシスタントプロデューサーを務める。2007年12月に秋元康事務所を退職。その後、株式会社インディソフトウェアに入社し、ゲームやウェブコンテンツの開発を経て、2009年4月から吉田正樹事務所所属。作家として活動を始める。
そう、著者の岩崎夏海さんは秋元康の弟子だったのです。
約3年ほど彼に師事した後、ゲーム開発会社に就職しています。(彼のゲーム開発に関するキャリアはこの部分と、あとは「ネプテュウヌMk2」のシナリオ監修をした部分くらいです。あとはひたすらFF11にハマってただけの、ゲーム業界からしたら完全に門外漢の立ち位置です)
もちろん、秋元康がセガのCMに関わっていたのは1998年ということなので、彼が弟子になっていた時期とは全く重なっていません。また、ゲームの歴史の著者はそのころは秋元康を崇拝しており、この時点で彼が秋元康のやったことを強く否定する動機はないでしょう。
ところが、今になって師匠である「秋元康は盛大にミスったのだ!」「秋元康は俺のわかっているゲームの本質をまるで理解していなかったのだ!」とお世話になった師匠を後ろから指すようなアゾり行為を行っています。
いったい何があったのでしょうね……。
秋元康は、弟子である著者が「もしドラ」でヒットした後、AKB48のメンバーにもしドラの宣伝に協力させたり、もしドラのメンバーをドラマに出演させたりといろいろと便宜を図っていたはずです。
インタビュー記事を見ても、秋元康さんは岩崎夏海さんのことをいろいろ気遣っていたと語られています。


それでも弟子の方は、秋元康に対して何かしら思うところがあったのかもしれません。
作詞家の秋元康さんのもとAKB48のプロデュースなどに携わっていた岩崎さん。充実していたがあまりに忙しく、仕事以外の時間がない。「売れずとも小説を書きたいと思っていたので、その時間を作るため39歳で退社させてもらいました。大きな決断でした」IT企業へ転職し、ITの勉強と文章のリハビリを兼ねてブログを始めた。書くネタが尽きたので、かつて秋元さんに提出し没になった企画を書き始めたところ、出版社の編集者から「本にしませんか」と連絡が入った。それが後にベストセラーとなった「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(通称「もしドラ」)だった。
秋元康にボツにされたもしドラがヒットしたので「秋元康大したことないな」となった?
弟子が後ろから師匠の背中を刺すのが秋元道場の流儀なのかも?
あるいは、広告業界というのは、こういう感じで弟子が師匠を背中から指す「アゾット行為」が流行りなのでしょうか?
「あれは止めておいたほうがいい」と周りが言うことがよくあるんですが、それで失敗があっても、失敗を恐れてはすぐ飽きられる。終わるのは早いですからね。常に細心の注意を払って、裏切りを続けていかなきゃいけないという脅迫観念にも似た思いがあると思います。
ファンの期待だけではなく、師匠も裏切っていかなきゃいけないという脅迫観念に取りつかれている?
実際このくらいの気概がなければ、TV業界や広告の世界では生き残れないのかもしれませんね。
おそろしいおそろしい……
おまけ:普段はエロ同人を紹介する記事を書いております。よかったら見ていってね。

コメント