意地悪ついでにもう一つ言うと、プレイステーション2は初代プレイステーションに比べてある意味において表現が退化しました。グラフィックが綺麗になっているのに退化とは?と不思議に思われるかもしれませんが、これは「擬似3 D」の面白みが「完全3 D」 になったことでむしろ失われてしまったということです。 いかにスペックが進化しようと当時の3 D はまだ表現力がつかなかったため描けるものに限界がありました。そのため世界観の表現はかえってつとないものとなってしまったのです。 鉄拳シリーズは徐々に人気を降下させていくことになりました。しかしながらナムコは人気ダウンの原因が背景の退化にある。すなわち世界観の表現の退化にあるということには気づかなかったのか、PlayStation 2で発売した4でもやはり3の背景を採用します。そうして結局2までで得た人気を回復させる事はありませんでした 。
はい。こちらが鉄拳3の映像です。
「世界観の表現が拙くなった」って感じるところ、あります?
正直、自分にはこの「ゲームの歴史」で語られている部分がさっぱりわかりません。
FFX で表現の幅が狭くなったことや、鉄拳3や鉄拳4で世界観の表現が拙くなったことはあくまでも一例ではありますが、これらに端的に表れているように PlayStation 2で日本のゲームはつまらなくなりました。(あくまでここで言っているのは日本のゲームであることは留意しておいてください) つまらなくなったというのは正確に言うとハッキングによる驚きがなくなったということです。1990年代まで日本のゲームは最高におもしろいカルチャーでした。なぜならハッキング精神に満ちていたからです。ゲーマーたちはそんなハッキングの精神を全身で堪能しながら「自分たちは最も尖っていて最高にクレイジーな体験をしているんだ」という誇らしい気持ちでいられました。 PlayStation 2の時代になるとそんな気分は急速にしぼんできました。
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